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トランスフォーマーの話

更新日:2021年5月14日

※この記事は2019年3月10日にのツイッターでつぶやいたものを再構成したものです。


 「トランスフォーマー」が国内導入された背景として、その前夜にあたる時代19に目を向ける必要はあるかと思います。業界紙を読むとFC(ファミコン)ブームのあおりを受けて男児向けキャラクター玩具がかなり厳しい状況で、タカラは「ダイアクロン」の「カーロボット」ラインが好調とはいえ、全体では前年の7割程度となっています。

 この時点で、玩具業界全体が手詰まりの感はあり、タカラにおいてはその起死回生の策が「トランスフォーマー」の国内導入であったわけです。タカラとしては「ダイアクロン」も「トランスフォーマー」と平行して展開する構想もあったのですが、結果的には「ダイアクロン」の展開プランは「スクランブルシティ」としてトランスフォーマーに組み込まれることになります。「トランスフォーマー」の初回導入点数の多さは強烈なインパクトで、雑誌、TVも合わせた展開に当時のちびっ子は心を打ち抜かれるわけです。さらには大きなお友だちの心も確実に打ち抜いていました。「トランスフォーマー」はいわゆる男児キャラクター不毛の時代(というのは乱暴で、ゲームやSD、ミニ四駆など子供の嗜好が純粋な玩具から移行しているだけなのですが)に忽然と現れた輝く星であったのです。

 正直に言いますと、自分は「トランスフォーマー」の国内導入に懐疑的な気持ちで観ていましたが、映像を見てぶったまげました。惜しげもなく変形するロボットたちがひたすらに戦い続けるのですから。当時のアニメがキャラに偏重する中でたまらなく新鮮でありました。そんな中、「ボクたち、オレたちのみたかったのはコレだったんだ!」という確信を感じた人の中には大きなお友達もいました。彼らはトランスフォーマーに熱中する中で、日本では売っていないアイテムがあることに気がつきはじめます。こうした日本未発売アイテムの存在は、当時の書籍でも触れられましたが、熱心なファンによる探求により明らかになっていき同人誌や、輸入ショップのネットワークを通じて広まっていきます。

 アニメ「トランスフォーマー」のインパクトはアニメ業界内外にも浸透していて、表層的に浮き出ている部分としては1985年3月に収録されたとされる講談社『Zガンダムを10倍楽しむ本』に掲載された富野監督インタビューにその名が登場します。TVアニメ「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー」が放映開始されたのは1985年7月5日。インタビューの内容、時系列で考えると少なくともこの時点で富野監督は「トランスフォーマー」の映像を見ていたことがわかります。ネットもない時代、「誰が」「どうやって」その映像をもたらしたかも今後の探究課題になるかと思います(個人的に確信に近い形で答は出てますがw)。

 タカラからすれば、償却がほぼ終わった金型で再度(厳密には国内→海外→国内の3度)商売ができるのですからかなり美味しいビジネスであったことは容易に想像できます。

 玩具業界的には1984年から1986年の3年間は確実にパラダイムシフトが起きた時代なので、「トランスフォーマー」はその嚆矢となったタイトルであります。

そのパラダイムシフトが始まる以前に「ミクロマン」も「ダイアクロン」も絶滅していたのがなんとも悲しいのですが。

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